【怒りの年金手続】 私・三木義一は60才の時、勤務先の大学で年金手続をとりましたが、余りの書類の複雑さに辟易しました。私学→国立→私学→私学と渡り歩いてきた己の人生が悪いのかもしれませんが、そのために各種共済組織などから、それぞれの番号や加入期間を確認し、証明してもらう手続が必要でした。
65になったので、年金事務所に基礎年金関係の手続をしに行ってきました(写真がそれです。リアルでしょう)。何度も読み返して、わかりにくい説明を自分なりに理解して、いろいろな持って行ったら、やはり必要書類が足りませんでした。『どこにそれが必要だと書いてある?」と聞くと、記載側の反対側にわかりにくく書いてあり、印刷されている部分に関するものでした。「これはもうここに印刷されて記載されているではないか」というと「印刷されていても、これが正確かを確かめるためにそれぞれの所からの証明書が必要である。だから正確かどうかわからないので、この印刷のここの部分、4.0となっているでしょう。4月のいつかはわからないという意味です」。え、え~~、印刷してきているのにそれを一部変形して、再度その期間の正しさを証明しろ、というのです。
「そんなことは君達年金組織間で調整すれば良いではないか』というと「個人情報ですので、私たちからは請求できません」という答え。いったい誰のための行政か、個人の生活をより不便にする口実に情報保護が使われている現実。 60の時、番号が我々に多数付されているのに、一向に便利に使われず、かえって不便にされていることを実感し、生活利便のための番号制に頭を少し切り換えましたが、今回で番号制導入論者に変わりました。番号が統一されて漏れるかもしれない個人情報よりも、私たちの生活がもっと便利になるように使われるメリットの最大化に努力をした方がより建設的だ、と思った次第です。 なお、番号制度については【その他】欄の青木論文などを参照して下さい。