それはそうですが。wedge Infinity の記事 島澤 諭 (中部圏社会経済研究所研究部長)
昨年から続く新型コロナウイルス禍に対処するため前例のない規模での経済対策が打ち出された結果、日本の政府債務残高は財務省推計によれば217%(当初予算)に達する見込みとなるなど、財政状況は悪化している。しかし、秋までに予定されている衆議院選挙を前に、財政再建の優先順位は低い。
財政再建が必要だと感じている国民も、増税や歳出削減など痛みを伴う改革を回避したい、もしくは回避できるとの考えもある。そして、国民が先進国でも最悪水準の財政状況を前にしても、財政再建に熱心ではない最大の要因は、財政破綻によって何が起きるのか実感していないことにある。
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「財政破綻」のイメージは十人十色
そもそも、財政破綻とはどういう状況なのか、統一的な理解を得るのはとても困難な状況にある。一般的に、「財政破綻」としては次の3つの状況が想起されることが多い。
①債務残高基準
1つは、債務残高を基にした考え方である。例えば、現在の政府債務残高が「国内総生産(GDP)の何倍になっている」「1年分の税収の何倍だから税金では返しきれない」というものである。これを経済学的に言えば、「政府債務残高対GDP比率が発散パスにある(上昇を続けている)」と言い換えられる。こうした指標は、非常に分かりやすいものの、それが何倍だったら「破綻」なのかということに関しては、明確な経済学的根拠は存在しない。
確かに、債務残高は、一般の家庭であれば分かりやすく、説得力もある。しかし、もし政府部門のバランスシートが債務超過になり、正味資産がマイナスになったとしても、「将来の税収」や「対外資産の売却」などなんらかの返済手段が存在し、政府に信用がある場合には直ちに破綻するわけではない。実際、日本の場合、すでに200%に到達し、数年分の税収を全額充当しても返済できない状態ではあるものの、実際には「破綻」していない。
②利払いの停止
2つは、利払いを今年の税収で支払えなくなったら「財政破綻」という考え方である。つまり、政府に、利払いに充当できるキャッシュフローがあるうちは、どんなに債務残高が高くても問題はないという考え方である。普通の企業でいえば、1年間の収入で利払いができないと、銀行取引停止処分になり、事業継続が極めて困難になる。こうした状態が「財政破綻」ではないかというものだが、「利払いも含めて借金すればいい」との反論に対しては、返答に窮してしまう。
③国債の市中消化不能
3つは、「新たに発行する国債を市中で消化できない」、つまり、誰も日本政府が発行する国債を購入しようとはしない状態である。何らかの原因で国の信用力が暴落して、国債の買い手が市場からいなくなってしまう状況であり、日本財政の重大な行き詰まりを示す現象と言える。しかし、この場合にも「新発債が市中で売れなくなったのならば、日銀が直接引き受ければよい」という反論が予想される。
このように、公債発行機関としての政府の行き詰まりだけで「財政破綻」を定義しようとしても、万人の納得を得るのは非常に難しい。なぜなら、「政府の銀行」でもある日本銀行が政府に必要な資金を供給すれば、政府は、形式上、存続し続けられるからだ。第二次世界大戦直後の混乱期においても、政府は日本銀行による国債の日銀引き受けにより政府機能を維持することができた。
財政破綻の真の問題は国民生活の破綻
国債の日銀引き受けにより政府機能をかろうじて維持できたのは確かだが、その副作用として生じたのは、1934~36年の卸売物価を基準とすれば49年までに約220倍、45年を基準で見ても約70倍、消費者物価指数では約100倍というハイパーインフレーションであり、国民生活の破綻であった。
つまり、「財政破綻」がどのように定義されるかは、専門家内での一種の「言葉遊び」に過ぎないため、国民から見れば大した問題ではなく、「財政破綻」が惹起する「経済破綻」こそが財政危機に伴う真の問題なのだ。「経済破綻」によって、われわれは、われわれが必要としているものをいかなる手段によっても必要なだけ調達できなくなる状況が発生してしまう。
ここでは、財政危機が経済破綻を引き起こすメカニズムと、経済破綻が現実となったとき、実際に何が起きるのか、そして、経済破綻を避けるために今からできる処方箋を示していきたい。
100円の商品が1万円になるハイパーインフレーション
財政赤字とは、歳出が税収を上回る状態を指す。ただし、財政赤字のすべてが悪いわけではない。将来のGDPが現在のGDPよりも高くなることが確実に見込めるのであれば、将来の経済成長による税の増収分を担保に、財政赤字という借金で現在の歳出に必要な財源を賄うのは合理的だからだ。
しかし、現在の日本の場合、経済は右肩下がりもしくはせいぜい横ばいで、安定的に税の増収が見込める状況にはない。しかも、財政赤字を原資として調達されている資金は年金や医療などの社会保障支出であり、借金に見合いの資産が国には残らない。
現在は、毎年150兆円超もの国債が安定的に消化されているが、今年度の国債発行予定額は236兆円にも上り、こうした安定的な国債の市中消化ができなくなってしまうと、国債金利の高騰を防ぐためにも、日本銀行に買い支えてもらうしかほかに選択肢がなくなる。
しかし、信認が失われてしまった国債を買い支える日本銀行が発行する日本銀行券の価値が将来的に維持されるとはとても考えにくく、通貨価値が毀損され、結局、インフレが昂進し、最悪の場合ハイパーインフレが発生することになる。
極端な話、終戦直後並みの100%のハイパーインフレが発生するとすれば、これまで100円だった商品が1万円になってしまう。物価がこれだけ大きく跳ね上がることになれば、毎月の給与では生活を賄えなくなる状況が訪れる。総務省統計局「家計調査」でみると、平均的な勤労者世帯の家計(勤め先収入)が毎月53.7万円となっている。インフレと給与の改定のスピードの違いにもよるが、物価上昇に賃金上昇が追いつかないとすれば、一時的であるにせよ、実質所得は現在の5400円程度の肌感覚となってしまう。
さらに、ハイパーインフレーションの発生により日本銀行券の価値が落ちることで、外国通貨との取引条件が極度に悪化するため、極端な円安となる。激しい円安は、輸入の際に強烈な価格上昇が起きることを意味する。特に、食料やエネルギーの大部分を輸入に頼る日本にとっては、食費、光熱費にも大きな影響を及ぼすことになる。実質所得の下落と物価の上昇で国民生活はままならなくなる。
また、こうした質の悪いインフレーションが発生することになれば、国債保有者の資産が実質的に無価値になってしまう。つまり、現在発行されている日本国債の大部分はインフレインデックス債ではないので、元本の実質価値が100分の1になってしまい、国債で運用されている預貯金の実質価値も同様となる。収入の実質価値が激減してしまい必要な物資を購入できないので貯えを取り崩して対応しようにも、預貯金の実質価値も目減りしているので、二進も三進もいかない状況になってしまう。
円安による輸出強化、グレートリセットは通用しない
円安になれば、輸出製造業を多く擁する日本経済にとっては良い効果を与えるのではないかと考える読者もいると思う。残念ながら、国内物価を原因とした円安は、国際競争力に関係する実質為替レートに影響を与えないので、国際競争力を向上させない。
円安は輸出には有利にならず、輸入を一方的に不利にするので、輸出で稼いだお金で手に入れられる輸入品が大幅に減少してしまう。これまで当然のように手に入っていたものが購入できない、手に入らないという経済破綻が現実となり、大多数の国民生活は極度に困窮することとなる。
ハイパーインフレーションは一度テイクオフしてしまったら、止めるのは非常に困難である。終戦直後には、公定価格による物価統制は闇市が生まれただけで全く効果がなく、預金封鎖、新円への切り替え、さらに最高税率90%にも及ぶ財産税、そしてドッジラインによる強力なデフレ政策によってようやく収束した。
このように、ハイパーインフレを止めるための政策は、強烈な累進性を有していたために、金融資産であれ実物資産であれ、資産を多く保有する富裕層が没落するなど、莫大な政府債務の実質的な解消とともに、社会階層がいったんリセットされる「グレートリセット」が発生した。
こうした終戦直後の「グレートリセット」を引き合いに、今般の財政危機に関しても「グレートリセット」を望む若者世代が存在するのも現実だ。しかし、敗戦による占領下にあったハイパーインフレーションとは異なり、今次局面では、連合国軍総司令部(GHQ)のような日本国憲法を上回る「超法規的な権威」が存在しないため、私有財産制度を無視するかのような政策は採用されないし、採用されたとしても違憲とされるだろう。
その結果、ハイパーインフレーションが発生すれば、インフレに弱い預貯金が資産の大半である一般庶民が大きな損害を受ける一方、実物資産を多く保有したり、金融資産を海外に逃避させることができる富裕層ほど影響は受けない。次にハイパーインフレーションが生じたとしても、グレートリセットは起こらず、持てる者はさらに富み、持たざる者はさらに失うため、貧富の格差は一層拡大することが懸念される。
高齢者も路頭に迷う、防ぐために財政トリアージの提示を
ハイパーインフレーションの発生は年金受給世代の生活も直撃する。日本の公的年金制度は、高齢者の年金給付に現役世代の年金保険料を充てる賦課方式で運営されている。一般的には、賦課方式は、高齢者が現役時代に支払った保険料を運用することで年金を賄う積立方式よりインフレへの耐性が強いのだが、日本の現在の公的年金制度では、マクロ経済スライドが導入されている。
マクロ経済スライドとは、物価上昇率よりも年金上昇率を低く抑える仕組みであり、直近に実施された2020年度のマクロ経済スライドでは、インフレ率が+0.5%であったのに対して、年金改定率は賃金上昇率である+0.3%にとどまった。つまり、インフレのスピードに賃金上昇率が追い付かないほど年金の実質額が目減りしていくことになっており、突然のハイパーインフレーションに賃金の上昇が追い付かない限り、高齢者の生活は厳しくなる一方なのだ。
では、未然に過度なインフレを止めるにはどうすればよいのだろうか。もちろん、「財政破綻」を避けるのが近道である。
「財政破綻」に至るマグマは、半世紀近くもの間、財政赤字の垂れ流しを続け、蓄積されてきた。今年度予算でも、社会保障関係費35.8兆円であるのに対して赤字国債発行額は37.3兆円。特に近年は社会保障給付を原因とした財政赤字が問題となっている。つまり、日本の財政問題とは社会保障問題であり、財政問題を解決するには社会保障制度改革が必須である。なお、筆者が考える社会保障制度改革の概要については、「分水嶺に立つ社会保障制度 こうすれば甦る」(Wedge Online Premium)を参照のこと。
現状では、財政健全化への国民的な支持は極めて少ない。しかし、財政健全化はすべての国民の生活に影響を与えるため、なるべく多くの国民からの支持が必要不可欠である。なるべく多くの賛成を得て財政再建を進めるには財政再建の規模を小さくし、かつあらかじめ財政「破綻」処理の内容を提示しておく必要がある。
運悪く財政が破綻した場合に備えて、どういう順序付けでどの歳出をどの程度まで削減するのか、「財政トリアージ(優先順位付け)」を、事前に示しておけば、国民は自分が課せられる追加的な負担(もしくは給付の削減)の大きさが可視化される。賛成するにしても反対するにしても、財政再建に対して合理的な判断が下せるようになる。
政治家や国民は、いざ財政が破綻した時には、年代に関係なく、多くの被害を受けることを念頭に置かなければならない。政治家は国民に対してそうした被害の状況を客観的・定量的な情報から丁寧に伝え、粘り強く説得し、政治選択の合意を得ながら財政や社会保障の構造改革を進めていく必要がある。