姫田小夏:ジャーナリスト
10月下旬、中国の不動産保有者らに激震が走った。全国人民代表大会常務委員会が、「房産税」のテスト運用を認める決議をしたからだ。「房産税」とは、日本でいう固定資産税のことで、中国では反対の声もあり、一部の地域以外では導入されていなかった。中国恒大集団の経営危機などで大揺れする不動産市場だが、中国ではどんな反応が起きているのだろうか。(ジャーナリスト 姫田小夏)
不動産の市況が厳しい今、なぜ固定資産税?
中国が抜く伝家の宝刀「固定資産税」、格差解消どころか深刻なリスクも上海のマンション群(著者撮影)
「房産税」は、中国で不動産の保有に課税される税金であり、日本の固定資産税に相当する。日本のそれと異なるのは、中国では土地はすべて国家の所有とされているため、厳密には土地の使用権者と建物の所有権者に課税される税金だということだ。
この「房産税」(以下、本稿では「固定資産税」と称する)は、2011年に上海市と重慶市で導入されたが、今後は実施拠点を増やし、5年のテスト運用期間を経て全国的な運用を目指すのではないかといわれている。
今年9月、中国70都市の半数以上を占める36都市で、前月比の新規分譲住宅の価格が下落した。国家統計局による販売価格の変動報告は毎月行われているが、前月比の下落は8月で20都市、その前の7月は18都市にとどまっていた。
大手不動産仲介企業の安居客が公開した報告書によれば、「新規分譲住宅の購入意欲は10月に入っても冷め続けている」という。秋は中国でも住宅購入のベストシーズンといわれるが、今年の市況は冷めている。
市況の冷え込みは、中国恒大集団の経営危機などの要因もあるだろうが、固定資産税の導入への警戒感も反映されている可能性がある。実際、中国では今年5月に財政部が議論を始めたことから、その後の動向に注目が集まっていたのだ。
差是正のため、避けて通れない固定資産税導入
長期的な影響さえも懸念される固定資産税の導入に政府が踏み切るのは、習近平指導部が固定資産税を「共同富裕の実現に欠かせないもの」だと捉えているからだ。
中国共産党の媒体「求是」(10月15日)で発表した「共同富裕の着実な取り組み」からは、不公平な分配を排除するため、不動産に関する税法や改革を推進し、高所得者や企業が蓄えた富を社会に還元させようという固い決意が垣間見える。
ここに来て始まった固定資産税導入の動きに、WeChat(中国のメッセンジャーアプリ)では、「ついに保有にまで手を出した」「財政はよほど逼迫(ひっぱく)しているのだろう」「将来的な不動産の取引需要の減少を見越した対策だ」などのツイートが飛び交っていた。
しかし、焦点となるのはむしろ「持てる層」と「持たざる層」の格差緩和である。過去20年間、中国は不動産という富の偏在が社会格差を拡大させてきたが、これを是正するには、もはや固定資産税の導入は避けて通れないという認識に達したことがうかがえる。
固定資産税を徴収すれば、不動産の保有コストを増加させ、結果として投機需要を減らすことにつながる。また富裕層が余剰不動産を売却して市場の供給を増加させれば、高騰し続けた住宅価格を下落させることにもつながるという期待がある。中国の不動産の専門家の間でも、固定資産税を導入すれば富の再分配を促すという論調が強い。
忖度しすぎて効果がなかった固定資産税
実は、中国は固定資産税について1986年の早い段階で立法化していた。しかし、その後、不動産に関わる税金は「取得時」と「売却時」における課税で終始し、「保有時」には課税しないままでいた。
ところが、2010年の上海万博前後に空前の住宅価格の上昇が起き、上海市ではついに「保有への課税」が始まった。
2011年に上海市と重慶市に限定し、固定資産税の試験運用が始まったが、「自己居住用住宅」への課税はされなかった。ちなみに、上海では税率を0.4%と0.6%に分け、非居住用の住宅を対象に課税が実施された。
上海で固定資産税の試験運用が行われた当時、筆者は不動産を専門とする上海財経大学の教授に意見を求めたことがあったが、「こんな微々たる金額では効果がない」と税率の低さや特例措置の多さにあきれていた。当時は「市況に影響を与えたくない」とする政府側の意図もうかがえた。もっともそれ以上に忖度(そんたく)したのは、党や政府内からの反発だろう。この時代、公職に就く多くの者がその利権を乱用し、許認可と交換に、開発業者から住宅を提供させるなどして私腹を肥やした。
その一方で、上海市民の不満は小さくなかった。
それは「自分たちが買った不動産は所有権ではない」という認識から来る反発で、「70年間の土地使用権に対して、なぜ固定資産税を払わねばならないのか」というものだった。ここでいう使用権とは、日本で言うなら借地権に相当するが、「多額の頭金やローンを組んで手に入れたにもかかわらず、使用権の期限である70年を経過すれば、土地も建物も没収されて国家のものとなってしまうといわれているのに、その間にも税金(固定資産税)を課すのは矛盾する」(上海市在住の会社員)という議論は、今なお根強いものがある。
固定資産税が導入されたにもかかわらず、上海市の住宅価格は、その後10年間、天井知らずの上昇を続けた。上海市における固定資産税の導入は、どこか中途半端なものがあったのだろう。中国の不動産専門家の論評を見ると「たいした効果はもたらさなかった」というものもある。それどころか、この10年で中国全体に取り返しのつかない格差社会を定着させることになったのである。
上海市閔行区に在住する陳紅さん(仮名)も、10年前に行われた固定資産税の導入に顔色を変えた1人だった。その陳さんは10年後の今、習指導部が振るう“大ナタ”に「早晩、上海では、投資用の住宅のみならず、自己居住用の住宅についても課税されるだろう」と身構える。だが、その一方で、この“大ナタ”により周辺相場が下がれば、我慢して住み続けてきた老朽住宅からの買い替えもできるのではないか、という希望も持っている。
ついに抜いた伝家の宝刀
中国では、高騰する住宅価格の記録が更新されるたびに、住宅ローンを組むための頭金の割合や金利の調整など「小手先」での価格抑制策を繰り返してきた。しかし、今回ついに習指導部は “禁断の固定資産税”に目を向けた。これに対し、都内私大で教壇に立つ中国出身の教授は「本気で取り組めば“世直し”にもなる。外地出身の都市部在住者にとって、適正価格でのマイホーム取得の夢が、いよいよ現実味を帯びてくるだろう」と前向きに捉える。
今回の固定資産税は、真っ先に沿海部の都市で実施されるといわれているが、この影響がじわじわと出てきている。
中国人留学生で広東省出身の趙志龍さん(仮名)は、「父親は最近、手持ちの事業用住宅3戸を売りに出した」と明かす。早晩、固定資産税が導入されるだろうという見込みから売却に踏み切ったのだが、なかなか購入希望者は現れないという。
習指導部の狙い通り、固定資産税は「持てる層をターゲットに、営利的な不動産を放出させる」ことには一定の成果を出すかもしれない。しかし、その先の再分配につながるのか否かは不透明で、むしろ中国の住宅市場が膨大な在庫物件を抱えて停滞する危険性すらはらんでいる。
「格差是正の大改革」は、なかなか一筋縄ではいきそうもない。