(多事奏論) 原真人
自宅放置を自宅療養と読み替える。政治の言葉の荒廃が深刻だ。言葉はときに政治を壊し、政治は言葉を殺してしまう。
たとえば「財政健全化」もそうだ。政治家や官僚にとって当たり前のように大事なスローガンだったが、いまや死語に近い。
自戒をこめて言うと、最近は新聞でも財政再建を掲げる社説や解説記事がめっきり減った。コロナ禍という未曽有の危機を前に予算をケチっている場合でないという判断もあろう。とはいえお題目そのものが読者に響きにくくなった面は大きいと思う。
財政規律にかかわる言葉をそこまでおとしめたのは安倍晋三前首相だろう。思えば9年前、総選挙を前に自民党総裁だった安倍氏がこう訴えたのが始まりだ。「輪転機をぐるぐる回して日本銀行に無制限にお札を刷ってもらう」。のちにアベノミクスと呼ばれる、日本銀行を使った財政赤字穴埋めのすすめである。言葉どおり、安倍政権は日銀に巨額の国債を買い上げさせた。
日本の財政健全度は世界でも最下位という惨状だが、日銀の買いが国債相場を支えた。当座は国債暴落の恐怖を遠ざけ、一方で財政健全化の努力をむなしくした。
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安倍氏は最近この現代版錬金術を再びひっさげて地方行脚をしている。7月の新潟県三条市での講演では、昨年度の新規国債発行額が100兆円超に膨れあがったことにふれて強調した。「子どもたちの世代にツケを回すなという批判がずっと安倍政権にあったがその批判は正しくない。政府・日銀連合軍でやっているので国債は日銀がほぼ全部買い取ってくれています」
「みなさん、どうやって日銀は政府が出す巨大な国債を買うと思います? どこかのお金を借りてくるか。違います。紙とインクでお札を刷る。20円で1万円札ができるんです」。演説はさらに熱がこもる。
「日銀は政府の、言ってみれば子会社。連結決算上は実は政府の債務にもならない。いまの状況であればもう1回、2回でもいい。大きなショットを出して国民生活を支えていく。大きな対策が必要です」
念のため説明しておきたい。政府・日銀が連結決算をすれば魔法のように借金が消え去るというのはまったくの誤りである。
もし国債が暴落して紙切れになれば大量の国債を抱える日銀は信用を失う。円(日銀券)も暴落して超インフレになる。今度は政府が日銀を財政面で支えることを迫られるが出せるカネはない。最後には、政府が増税や借金踏み倒しで国民に負担を押しつけることでしか収まらなくなる。
ありえない話ではない。南海トラフ地震や富士山噴火、東シナ海での紛争勃発。国を率いるなら、国を揺るがす重大事態の発生が国債暴落の引き金になることも想定しておくべきだろう。最悪の事態に備えるのは政府の責務だ。それはコロナ危機対応で決定的に欠けていたことである。
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持続可能な財政を心がけることは国家運営上、最低限の危機管理といえる。コロナ対策費が大きく膨らんだのは仕方ないとしても、その借金をどう返済していくのか。計画や構想が菅政権や与党、財務省から一切出てこないのは、あまりに無責任だ。
「ドラスチック」「他省でも見たことがない」。この6月、財務省の政策評価懇談会で民間委員らが驚きの声をあげた。お手盛りがふつうの官庁の自己評価で、同省が財政の総合評価を自ら5段階の最低ランクC(目標に向かっていない)としたのだ。
決めたのは省内きっての財政健全化論者である矢野康治主計局長(現次官)。現状を憂え、あえてつけた最低評価だった。受け取った委員たちも意気に感じ「非常に重要なメッセージだ」とエールを送った。
私も同じ気持ちだ。これは小さな波紋にすぎない。ただ、財政健全化議論がこれだけないがしろにされている昨今、大きなうねりへとつなぐ一つの希望だと思いたい。
(編集委員)