毎日夕刊
「ますます五輪は『失敗の本質』のような状況になってしまった」。1年ぶりに立教大特任教授の金子勝さん(69)を訪ねると、私が語りかける前に険しい表情でそう切り出した。金子さんは2020年、ひたすら続く日本銀行の異次元緩和など、安倍晋三前首相の経済政策「アベノミクス」について、名著「失敗の本質」を引き合いに「失敗の責任を避け続けた戦後日本のなれの果て」と看破したのだ。今まさに新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)下で強行開催中の東京オリンピック。金子さんならどう思うのか、知りたくて再訪した。
21年は太平洋戦争開戦から80年。くしくもその年の五輪なのだが、金子さんは菅義偉政権を旧日本軍の失敗になぞらえた。「菅さんは専門家の『お墨付きを得た』と五輪開催に突き進んだ。一方で専門家は開催そのものの可否は判断しない。意思決定のプロセスをあいまいにして、誰も責任を取らずに方向転換できない姿は、戦時中の無責任体制そのものですよ」
それは、五輪実施か否かで世論が割れていた6月18日のこと。政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長ら専門家有志は、無観客が「望ましい」と提言。尾身さんらは当初、五輪を開くことの妥当性も検討したというが、菅首相が主要7カ国首脳会議(G7サミット)で開催を表明したことから、「開催の是非を検討することは意味がなくなった」と説明したのだ。この状況、まさに名著で指摘された旧日本軍の体質そのものだという。
「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」は1984年に出版され、今も版を重ねるロングセラーだ。日本が太平洋戦争で敗れた原因が何だったのかを、戸部良一防衛大学校名誉教授ら6人の研究者が、ミッドウェー海戦など六つの戦闘の失敗例から分析。作戦に失敗しても責任を問われないことや、個人責任の不明確さなど、旧日本軍の組織としての弱点が挙げられている。同書は組織を率いる企業経営者や政治家にも愛読者が多い。一介の記者に過ぎない私も、事あるごとに繰り返し目を通す。
最近の菅首相の発言でも、まさに「失敗の本質」そのものと思うことがあった。米紙ウォール・ストリート・ジャーナル日本版のインタビューで、首相は五輪中止を何度も周囲から助言されたそうだが「やめることは一番簡単なこと、楽なことだ。挑戦するのが政府の役割だ」と言い切った。同書では旧日本軍の失敗例として、結果よりもプロセスややる気が評価されたことも指摘されている。一国の宰相がコロナ禍でチャレンジ精神を訴える姿に恐怖すら覚える。金子さんが嘆く。「周りの意見を聞かず、自分の思い込んだことを実行することがリーダーシップだとはき違えている。戦時中のトップの失敗と同じです」
コロナ第5波真っただ中の今、五輪は連日、熱戦が続く。前回64年の東京大会の時、千葉県の小学6年生だった金子さんはテレビで観戦したという。「バレーボールの『東洋の魔女』やマラソンのアベベ、柔道のヘーシンク。菅さんも東京五輪の思い出としてよく触れているけれど、私も覚えていますよ」
金子さんは自らを振り返る。「父が転勤族で借家を引っ越すたびに家が大きくなって、最後は横浜市内にマイホームを建てるという絵に描いたような高度成長の時代でした。今も五輪の後は25年の大阪万博、リニア中央新幹線の建設と当時そっくりで、いまだに昔の夢を追いかけていいのかなと思います」。低成長の時代なのに、57年前との奇妙な類似性にあきれるのだ。
私が五輪で記憶にあるのは、陸上のカール・ルイス選手が、出場した4種目すべてで金メダルを獲得した84年のロサンゼルス大会くらいから。その活躍に刺激されたわけでもないが、高校時代は陸上競技に打ち込んだ。もちろん五輪はおろか、インターハイ(全国高校総合体育大会)も県予選で敗退するくらいのありふれた選手だった。
コロナ禍で、多くの国民が疑問を抱くさなかの五輪開催。平凡な競技者だった私が想像するのもおこがましいが、「選ばれし者」の五輪選手の心中いかばかりかと、勝手におもんぱかってしまう。「選手に対する冒とくだと思いますよ。皆が歓迎して応援する気になれないんですから」。開催には批判的な金子さんも選手には同情的だ。その言葉に私も大きくうなずく。
「唯一開催して良かったのは、五輪の本質を白日の下にさらしたこと。平和の祭典でも、『アスリートファースト』でもなかった。『五輪の感動』みたいなものを、IOC(国際オリンピック委員会)は金のため、菅さんは政権浮揚のために利用しているだけです。世界中から選手が集まるのに、緊急事態宣言で国民には自粛を強いるというダブルスタンダード(二重基準)に皆、うんざりです。今後五輪は変わっていくでしょう」
新型コロナで亡くなった人は、7月には1万5000人を超えた。東日本大震災の死者数は3月10日現在で1万5900人。未曽有の大災害に匹敵する人が命を落とし、五輪中もその数は増え続ける。「東日本大震災の時と同じくらいの人が亡くなっているのに、コロナから救えた命があったかもしれないという議論が起きていません。根底にあるのは命を軽視した政治で、それは人が死んでも『名誉の戦死』と片付けられてしまった戦争中と同じだと思うんです」
4~5月のコロナ第4波では、関西圏で病床の逼迫(ひっぱく)から、医療従事者が患者の治療に優先順位を付ける「命の選択」を迫られた。第5波の今は首都圏を中心に医療体制は厳しさを増す。なのに菅首相といえば前述の米紙のインタビューで、五輪開催の判断について「感染者数なども海外と比べると1桁以上と言ってもいいぐらい少ない。ワクチン(接種)も進み、感染対策を厳しくやっているので、環境はそろっている」というのだ。
頼みの綱のはずだったワクチンも、供給不足で接種が滞る現状。ワクチン担当の河野太郎行政改革担当相は7月6日の記者会見で、不足はゴールデンウイーク前から分かっていたことを明らかにした。「足りなくなるのを知っていたのに、早くワクチン接種を進めろと自治体や国民の尻をたたく。それは都合の悪い事実は隠し、敗色濃厚になっても国民には連戦連勝していると伝え、鼓舞し続けた戦時中の大本営発表そっくりですよ」
コロナと戦う「武器」であるはずのワクチンが不足する中、五輪開催に固執したこの国の姿は、物資が足りないのに戦争を断行したかつての暴挙と重なる。「今さら五輪も中止できないだろうと既成事実化する姿勢は、戦争は始まったんだからすぐにはやめられないと、戦局が泥沼化した旧日本軍と同じです」。どこまでも似通う当時と今。
「近代国家の役割は、国民の生命と財産を守ること。その原則を守れなかったのが戦時中でした。その反省から戦後の日本社会が誕生したのですが、根本が崩れ始めています」。命を軽視する本質は、80年たったこの夏も何ら変わっていないのだろうか。平和の祭典のはずの五輪が気付かせてくれたのならば、あまりに皮肉なことだ。(葛西大博)
*■人物略歴
◇金子勝(かねこ・まさる)さん
1952年、東京都生まれ。東京大大学院博士課程修了。慶応大経済学部教授などを経て現職。専攻は財政学、制度経済学、地方財政論。近著に「人を救えない国 安倍・菅政権で失われた経済を取り戻す」。