毎日新聞2017年9月27日東京朝刊の「月刊・時論フォーラム」に「アベノミクス 水野和夫」が掲載されています。以下はその内容。
■アベノミクス
社会の連帯感失わせる道 水野和夫
 今年の9月で、2012年11月を景気の「底」として始まった景気回復・拡大期は58カ月となり、高度成長期のいざなぎ景気の57カ月を抜いた。戦後2番目の長期拡大が続いていることになる。確かに、労働需給は逼迫(ひっぱく)し、企業業績は絶好調、株価も12年11月末比で2倍に値上がりしたことからすれば、アベノミクスの成果が全くなかったとはいい切れない。
 しかし、高橋伸彰はこの30年で「失われたのは連帯感」だと指摘する。そして、「いつまで経(た)っても隅々まで行き渡る当てのない道を、この道しかないといって強者の論理で突き進むアベノミクスに対抗するためには、(略)誰の生活が改善し、誰の生活が苦しいままに放置されているかを洞察し、回復劇の舞台裏で何が起きているのかを剔出(てきしゅつ)する作業が必要だ」という。
 この主張の前では、政府関係者がいくらアベノミクスの成果を誇っても、些末(さまつ)なことにしか見えない。たとえば、1974年2月以来の高水準になった有効求人倍率にしても、高齢者が求めるような「相対的に労働負担が軽いデスクワークなどの一般事務ではこの六月でも有効求人倍率は〇・三七倍と一・〇倍を大きく下回っている」(高橋)。
資本家の思惑通り
 一部の都合のいい統計数字をみて、新自由主義者たちはアベノミクスを高く評価するが、高橋は「アベノミクスに欠けているのは、労働力を提供する労働者とは自由な意思と能力を持ち独立した人格を備えた人間であり、資本と同列に並べられる生産要素ではないという視点である」と、その政策がよって立つ思想を批判する。
 高橋が「貧困や格差の解決(緩和)策として分配政策の強化を説こうとすると、主流派(新古典派)の経済学者からは、裕福な者にとっての一万円の効用(満足度)と貧しい者にとっての一万円の効用とどちらが大きいかを客観的に比較できない以上、所得の再配分によって社会がより良くなるか否かを経済学として判断できないという反論が返ってくる」。まさに、こうした主流派の主張を受け入れている社会こそが、「連帯感を喪失した社会である」(高橋)。
 「新自由主義は資本蓄積のための条件を再構築し経済的エリートの権力を回復するための政治的プロジェクト」だと喝破する英地理学者、デイビッド・ハーベイの解釈に基づけば、この数十年、ことは資本家やCEOと呼ばれる経営者の思惑通りに進んでいるのかもしれない。それをよしとしない高橋は、この数十年孤軍奮闘し、対抗策を講じている。
バブル生む日銀?
 高橋は黒田東彦総裁率いる日銀に対しても手厳しい。「日銀の展開通りに物価指数が上昇しないのは、長期停滞のなかで人びとに染みついたデフレ期待が強いからではない。(略)リフレ派の物価理論が間違っているからだ」と一刀両断する。日銀がリフレ派の審議委員ばかり集めて、何度会議を開いても、消費者物価は年2・0%増にならない。永遠に量的緩和を続けることになる。
 そうなると、大きな問題が生じてくる。第一に、愛宕伸康によると「日銀の国債買い入れは、年60兆円で積み増すと、遅くとも18年10~12月に限界に達する」(「異次元緩和の行方」)。黒田総裁のもとで6度も先送りしてきた日銀の物価見通しが今回だけは目論見(もくろみ)通りだとしても、消費者物価が年2・0%増となるのは「19年度ごろ」だ。黒田バズーカ砲の弾は尽き、リフレ派の理論は破綻することになる。
 第二には、高橋が指摘するように日銀法で、日銀の「目的は国民経済の健全な発展にあると定められている」はずなのに、日銀自らバブルを生み出しているのでは、との懸念が生じている。緩和マネーがリートに流入し、「日銀がリートを買っているから、うちも買って大丈夫。この論理で、リート購入を開始する行内の稟議(りんぎ)を通した」との、東日本にある地方銀行の担当者の発言を、朝日は紹介している。
 第三の問題は、元日銀理事の早川英男が指摘する「『出口』前の景気後退リスク」だ。「バランスシートを目いっぱい膨らませた日銀にできることは少ない」ことだ。このままでは「行くも止まるも地獄の選択になりかねない」。昨年9月の「総括的検証」の説明は完全に崩壊している。早川は、まずは「総括的検証2・0」を示して2%目標を「中長期的目標として位置付け直す」ことと、「2%の物価目標を至上命題とした現在のマクロ経済政策の枠組みの手直し」を提案している。
欧米は転換点に
 安倍晋三首相が叫ぶ「この道しかない」は、1980年代に当時のサッチャー英首相が好んで使っていたフレーズである。しかし、16~17年に行われた米、仏、英の大統領選や総選挙からわかることは、サッチャーとレーガン元米大統領が主導してきた「ネオ・リベラリズムとグローバリズムが徐々に転換点をむかえている」(田端博邦)ということである。
 ここ1、2年の、「オルト・レフト」などといわれる、米民主党のサンダース、英労働党のコービン、そして仏急進左派メランションの選挙での予想外の躍進は、「労働者の保護と社会的セーフティーネットを強化するという広い現実的、社会的な支持基盤を有する政治」(田端)があるからだ。こうした欧米での政治変動を踏まえれば、日本は、ケインズがいう「もはや過去のものとなった経済学者の奴隷」となったままである。だとするならば、日本が課題先進国だと威張っているのは、喜劇ではなく悲劇である。